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【ネタバレ】舞台「天球儀 -The Sphere-」観劇カキナグリ レポート【適宜更新】

2016/08/13、新宿の紀伊國屋ホール。末満健一さん脚本・演出、新垣里沙さん出演の舞台「天球儀 -The Sphere-」の夜公演を観劇。
この回は多田直人さん西川俊介さん新垣里沙さん緒月遠麻さん松本慎也さんのアフタートークショーあり。

以下なんとなく観劇してみての感想というかレビューというか思ったことを書き殴るなど。



ここから先は舞台「天球儀」のネタバレを気にせず書くのでご注意ください。



※注:ネタバレを含むものの、紹介するための文章という訳ではなく思いついたことを順不同で書き殴っているだけのものであるため、これを読んでも劇のあらすじや概要などは分かりません。


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全般的な所感


全般的に末満さんの「悲喜劇ではない。手に汗握る展開も、感動の涙もない。不穏にはじまり不穏のまま終わる。不穏劇」という言葉に忠実な舞台であり、観劇後の感想としては「なるほど。」というものであった。


「不思議な気持ち」という感想も見られるが、個人的にはそんなに不思議な気持ちというものもなく、それほど不穏というものでもなく、ただただ「なるほど。」と。


演者や演出が巧みであったものの、筋としてはなんとなく予感した事情でなんとなく予感した展開が進んでいくので、見方によっては物足りなさもあるのかもしれない。


そもそもこの舞台は「Equal -イコール-」から繋がる「自己二部作」の完結編ということで(本題とまったく関係ないけど2作品のタイトル表現の対称性が気持ちいい。そしてもっともらしいことを書いているがEqualは未見)、エンターテイメント性よりも40年の人生あるいは20年の演劇人生を経た末満さんの自己の実存への問いというか思索そのものが前面に出ていた。その意味では末満さんの「私小説」という表現も「なるほど。」と(なので自ずと当所感も「末満さん」という単語が頻出する)。
→追記:末満さんの後のつぶやきでは「RIP」も入れて「自己三部作」かと。


劇中に登場する諸作品や末満さんのベースとなる背景(過去に触れた作品や個人的な事情)について、「演じる人/観る人」と「末満さん」との間で意識と知識が重なる部分というのは人それぞれであり、公演中にステージ上あるいは客席で心が反応するタイミングやポイントはまちまちかもしれない。


同じ時間/同じ劇場にいる各々の心の琴線に触れた瞬間をひとつのきらめきとするのなら、公演中の演者と観客とを含めた場内は様々なタイミングの様々な場所で光が瞬いているともいえる。そしてそれは一種の天体であり「末満さんのスフィア」という天球儀そのものなのかもしれない。つまるところ、この舞台は末満さんのスフィアの開示にほかならない。


自分は過去の演劇にまつわる知識というのがあまりないので、そのあたりに明るい人はもっといろんな発見があったのだろうなと思う。末満さんと同じ70年代後半生まれのTRPG世代なので、そのあたりが前面に出た「私小説」もあるといいのにな。

気になったこと


劇中「そういう設定なんだ」と心に言い聞かせてもずーっと気になってしまっていたこと2点。

  • モノを忘れないというのはもっと会話や行動が根本的に変わるんじゃなかろうか問題。
  • 簡単にクラッキングできすぎ問題。


前者については「そういう設定」で済む話なので私自身の問題なのだけれど、たぶんスフィアのおかげでモノを忘れないということになったら会話と行動がもっと変わるよなーっというのが気になって。


人の言ったことを反復する、聞き返す、思い出したように用件を伝える、○○だよね?と確認する、ああ○○かと言う、思い出そうという所作をする、ハッと気づく、など普通にしている所作はほとんど「モノを忘れる」ことに由来していて、「モノを忘れない」場合はもう全然現在の人間とは違う動きをし始めるよなと。


SF設定でそんなの言い出すこと自体がアレなのだけれど、まあ気になったよというもので。


後者については「そういう設定」だけでは済まなくて、「そういう設定」で閉じた枠内ではもうちょっと整合性が欲しいところだなと。


優秀とはいえおそらく人並みに優秀というイチ大学院生の富さんが簡単に手のひら経由でクラッキングできるようならたぶん世の中ヒャッハーな状態だし、國枝さんもカウンセラーとはいえ記憶を消したりフリーズする可能性のある操作は公的機関が然るべき手続きをとって然るべき設備の整ったところでのみ実施できるようになってるはずだろうなとシステム屋さんとしては気になってしまう。


「実は蓬茨博士の息子である『蓬茨奏音』が天才で富さんも國枝さんも蓬茨奏音の能力として通常ではあり得ない技術を実現できた」という展開であればミステリーとしてはありがちな気もするけれど、ある程度「そういうものか」と納得はできたかもしれない。そういう面ではクラッキングの難度を示す何かとか誰かしらの天才性を強調するものとかが欲しかった気がする。

その他諸々を列記


観劇している間「劇中でこれでもかと披露される蘊蓄が実はそれぞれ微妙に誤っていてそれがスフィアのバグを表してたらゾッとするな」と思ったけどそういう訳ではなさそう。


執拗に繰り返されるブラックコーヒーは「エルキュール・ポアロ」の「ブラック・コーヒー」ということなのか、それとももっと何か意味があったのか。最後のシーンで富さん(というか)が飲んでいたコーヒーはひょっとして毒入りなのかしらとも思ったけど、わざわざそうする必要も無いからやはり最後はマッチなのかしら。


最前だったので週刊「パラダイス」の表紙の女性がどなたか見極めようとしたけど分からなかった。ただ、大師堂さんがページめくってるときに中に「藤田ニコル」の写真があったのは見えた。
→追記:観劇中から「こういうの大抵はエツ子先生じゃね?」って思ってたけどエツ子先生だった。
niira.jugem.jp
→追記:大きい画像ゲットだぜ!おもしろかっこいいぜ!


ところで週刊「パラダイス」の綴りって「PARADISE」ではなく「PALADISE」だったかも?あまり意識してなかったので覚えてないけど改めてパラダイスって綴ろうと思ったらやけに「L」の印象が強い感じが。「パラ」がフライデーの「FRI」的に大きなロゴというのは覚えてる。やっぱ普通に「R」だったかな。
→追記:エツ子先生ブログで見たら普通に「R」だった。


TRUMPシリーズとの共通点は「強制的に生かされた悲劇」。


壊れたレコード。歪に反復する生と死。螺旋の溝。溝を削って奏でられる壊れた音楽。


富さんの脳死原因「床に叩きつけられた」は出口君の「うつぶせ死」などと相俟って「みんないろんな死に方あるよね」のバリエーションだとは思うけど、それほど大きな理由なしにセンセーショナルな設定を入れ込んだ感があってちょっとなーと。


名前の雰囲気と舞台と話の雰囲気が森博嗣的ではあった。「カノン」が「コナン」に似てるので実は名前がアナグラムだったりずらしたら何かになったりするのかなと思ってたけどパンフレット読んだら普通に天文学者の名前由来であった。


蓬茨博士と蓬茨奏音のくだりで鉄腕アトムと天馬博士を想起するなど。


蓬茨奏音の陰で悼まれることなく亡き者になった7つのスフィアは可哀想だなと思ったけど。蓬茨博士は悼んだのかもしれない。


マッチと動物の演出は元ネタがよく分からなかった。


「探偵小説には死体が不可欠である」。22年前にオリジナルのスフィアと共に人知れず自我が失われた7つの死体。蓬茨奏音による母と富さん2つの殺人。蓬茨奏音2回の自死。富さんと蓬茨奏音は二度死ぬ(You Only Live Twice)。死者しかいない舞台。


アンドロイドは電気羊の夢を見るか」は逃亡した8体のアンドロイドを狩るけれど、今回の8人の登場人物は果たしてアンドロイドや否や。電気羊ならぬ不完全な死を持ってしまった蓬茨奏音は富さん以外の6人を生かしたまま本物の羊である完全な死を手に入れられたのか否か(富さん生きてるかもしれないけど)。


演出や演技は渋く決めていて良かった。演者さんがベテラン揃いなので細やかな表情とか間の取り方とかが巧みで良いモノ観たなぁと。最後の人が少なくなっていくくだりではずっとガキさんのなんとも言えない哀しそうなそれでいて慈愛に満ちた表情を眺めていた。そして表に出ていることの多かった多田さんの肩の力が抜けた演技と緒月さんの小気味良い台詞回しに引き込まれた。


目の前でマッシュ鏑木のライブとか観られて楽しかった(小並感)。


パンフレットの小さいサイズと紙質推せる。


コナンのタイトルで盛り上がるくだり、名探偵コナンのことをよく知らないからずっとシュワちゃんのコナンの邦題か何かのことだと思っていたのはお母さんには内緒だぞ。


これはもう末満さんも相川さんも誰も気にしてないだろうしもはや誰の記憶にもない設定かもしれませんが、舞台の中央にあった植物はモンステラだったと思います。 #二輪咲き #だからなんだ


名探偵ポワロ 全巻DVD-SET

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そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

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