平成ヲタしぐさポエム

これはポエムです。

ヲタクは自身が偏執的であることを自覚した方がよい。
対象が「趣味は○○です」「○○に興味があります」といってもトークの流れで言っただけかもしれないし、その時点ではかなり熱心に興味を持っていたとしても、次の日にはすっかり忘れてるかもしれない。
ヲタクは対象の「お言葉」を聖典のように心に刻みつけ掲示板やSNSに記録し、コミュニティのなかで5年10年スパンで流通させてしゃぶり尽くすが、そのお言葉の正味の生存期間はせいぜい1日~1週間であった可能性もある。
ヲタクは自身を省みて、同世代のときにどれだけ自分がふわふわしていて、そのときに発した言葉がどのくらいの賞味期限であったのかを思い出すべきである。と、いうか、今現在でもどれだけ自身の決意や言葉に責任が持てているのか自覚すべきである(「本気」で推してても数年後に別の推しに「本気」になってることもある)。
対象にとってもヲタクにとっても大抵の人にとって自身の言葉は聖典ではないので存外忘れるし翻意もする。
ヲタクは過去の自身の決意や発した言葉の並ぶ墓碑群を振り返り、自身の崇める「お言葉」も、発した本人にとっては同等の価値であることに思い至らなくてはならない。
過去の「卒業するつもりはない」についても同様である。
その時は「本気」でそう思っていても、周りの環境も気持ちも揺れ動く多感な時期に色々考えた末に以前の決意/言葉とは別の行動を決断することもあるはずである。
ヲタクが自分自身が出来なかったはずの「お言葉に対する殉教」を対象に求めるのは不公平である。
それと同時にこれから対象から発せられる「お言葉」たちもその後数日で変わる可能性を覚悟しておくべきである。
また、そこから「何か裏で見えない力が働いている」という思考に辿りついた場合は「自分はたまたま目に見えている数少ない情報からたまたま誰かが言い出したキャッチーなフレーズに論理的整合性の検証なしに正当性を見出してしまう思慮に乏しいうっかりさんである」という可能性に思い至った方がよい。

ヲタクは自身が安全な場所から対象を眺めているということを自覚した方がよい。
相手を散々グーでパンチしておいて、相手が堪りかねて「グーでパンチするのはバカだ」と言ったときに、「貴方がバカっていうなんて失望した」「バカというのは立場上適切でない」と言い出すのは単純にゲスい。
ゲスいこともしくは相手に正当ではない無理強いをしていることを自覚して気持ちや意見を表明すること自体はアリだが、無邪気あるいは善き社会人のつもりで言ってるとしたら、それは生粋のゲスさである。
蛸壺に入っていると失念してしまうのかもしれないが、ヲタクと対象は(道徳的な意味というより社会的な意味で)対等である。自身や自身の属する集団に責務を求めるのは自由だが、その外に責務を求めるのであれば前述の決意や言葉と同様、自身も一定の責務を果たすべきで、それができないまま外に責務を求めるのであればその行為の不当性を自覚すべきである。

これはポエムです。

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