小片リサ 「どっち」 私的歌詞解釈

2022/10/26発売の小片リサさん1st EP「どっち」
1st EPには「どっち」「Kitty」「じらして愛して」「Oh, Sunny Days!」の4曲が収録されている。

この4曲のなかで最初にライブで披露されたのが、表題曲でもある「どっち」。MVも一番はじめに公開された。

www.youtube.com

作詞:tsubomi 作曲:Shusui/tsubomi/Zeyun 編曲:Zeyun
MV Director:Takuro Okubo

これを書いている時点では「どっち」以外にライブで披露されているのが「じらして愛して」。
ほか2つは「CDジャーナル2022年秋号」でチラッと言及されているものの未公開である。

さて、現時点で唯一音源まで公開されている表題曲「どっち」はおそらく曲調も歌詞もこれまでの小片さんのイメージに近いものと思われるが、歌詞については色々と気になるワードがちりばめられていて良い感じに「これはどういうこと?」と思わせるフックになっている。
聴く人によって解釈が変わる部分があって少し興味深いため、ここに自分の個人的な解釈を書き散らしてみたい。

もちろん、歌詞解釈はそれぞれ聴く人に委ねられており、正解があるような類のものではないので、ここに記したことに引っ張られる必要もないし逆に議論をしてすり合わせていくようなものでもないので留意されたい。

なお、上記公式YouTube動画で字幕をONにすると歌詞が確認できるのでそちらも併せてご覧頂きたい。

概要

まず、自分の歌詞解釈の概要としては「失恋経験のある女性がこれはという人に巡り会ってしまい急に幸せな毎日が訪れてちょっと不安になっている歌」。

主人公も相手(君)も健在で、なんなら長生きする気満々である。

「最期」「瞬きの重なりが終わる日」などのインパクトで死が近いように感じるかもしれないが、主人公にとって死の概念が身近ではあるものの、実際にはまだ近くはない気がするし、過去に死別したという感じでもないように思う。

詳細

主人公や相手(君)は健在か否か

自分は健在と捉えた。

人によっては既に相手(君)が不在であったり先が短いという解釈かもしれないが、「また重ねてしまうの」というフレーズから今後も重ねる余地がある、つまり現時点では両者共に存在しているように思う。
また、「二人は重ねてゆくんだ」というフレーズから主人公が二人の未来を遠くに見ているのでまだ先は長いのではないかと。

この点については冒頭の歌詞にも言えて、「最期の時何を思う?」について「君は分かる?」と問うてるので相手(君)にとってまだ最期は来てないし「分かるか否か」という聞き方なので近い未来に最期を迎える様子ではなさそう。
近い未来に最期を迎えることが判明している場合は「何を思うのか分かるか」ではなく「何を思うのか(思っているのか)」という聞き方になる気がする。

また、「私はたぶん」なので私自身も近い未来に最期を迎える予定はなさそう。
「いつかの日に確かめたくて」「そうでありたい」という言い回しからも直近で最期を迎える様子はみられない。
もし直近に迫っているのであれば「そうでありたい」といった願いではなく、今まさにどっちにするのかを決める段階にきているはずである。

過去に死別した人がいるか否か

ここは少し悩むところだが自分は否と捉えた。

主人公が過去について触れているのは「この世界に永遠がないと知っていたよ随分と前に」のあたりで、人によってはここで過去の死別経験を読み取るかもしれない。
ただ、その後に続く「愛なんてさ季節みたく移ろって移ろって消えて行くなら」のあたりから、自分としては消えたのが「人そのもの」ではなく「愛」と読み取ったので、特に死別とは捉えなかった。

もちろん「死別したあとに相手を愛したこと忘れていってしまう」ことをここで儚んだうえで終盤の「君を愛したことそうでありたい」に繋がるとみることもできるかと思う。
その方が流れとしては綺麗なのだけれど、「季節みたく移ろって」という表現から「消えていく愛」ではなく「対象が変わりゆく愛」を感じたので、総じて見るとここは死別ではない形での「過去の失恋経験」なのかなと自分は判断した。

なぜ死を思わせるワードがちりばめられているのか

これは自分もそうなのだが、何かが始まった時にすぐに終わりを想像してしまう人というのがいて、主人公もそんな性格なのではと考えている。
そういった性格や過去の失恋経験から「永遠などない」ということが常に念頭にあるので、ぎゅっと目が合って奇跡的に巡り会った人との幸せな毎日の行く末が少し不安なのではないかと。

ただ、常にそういうことを考えがちな人なので、切実に不安という訳ではなく、ちょっとした不安を伴いつつ忘れられない日々を重ねていくんだろうなとぼんやり思っている、みたいな解釈をしている。
常に終わりを考えている主人公にとって「瞬きの重なりが終わる日」自体は特に恐れるものではなく、どちらかというとその瞬間に「君を愛したこと」が思い出せるといいなという願いを感じた。

メメント・モリ

「ぎゅっと目が合ったその時」「さようならの時も見つけた」とは何か

「最期」や「瞬きの重なりが終わる日」などのインパクトのあるフレーズが組み込まれた歌詞のなかにあって、それよりもさらに印象的なのが「ぎゅっと目が合ったその時」「さようならの時も見つけた」である。

個人的にはここに特別でオシャレな意味を見出したかったのだが、これまでの解釈の流れからすると「ぎゅっと目が合ったその時」というのは相手(君)と出会った時、「さようならの時も見つけた」というのは常に終わりを考えている主人公がつい夢想してしまう相手(君)との別れのイメージ(遠い未来の予感)となってしまう。
自身の歌詞解釈であるにも関わらず、全然特別感が無いしイマイチオシャレじゃないのが不満ではある。

主人公か相手(君)か過去の人のいずれかに最期が訪れている解釈をしていればもうちょっとドラマチックな役割が与えられた気がするのだが、機械的に詰碁のように解釈していったらゴール地点がここになってしまった。

あっけなく起こった「奇跡」とは何か

相手(君)との出会い。

総論

序盤と終盤に死を思わせるフレーズが配されてることで重めな第一印象であったこの楽曲、個々のフレーズを解釈していったら「ちょっと色々と考えちゃう女の子が急に訪れた幸せの真っ只中にいる」みたいな比較的ポップな雰囲気になってしまった。

個人的には重めで物悲しい物語の方が好みではあるものの、表題曲であることやMVの明るい雰囲気からも、今回の歌詞解釈のあたりがちょうど良い感じではあるように思う。

と、いうことでざっくり書き散らしてみたものの、冒頭に書いたように歌詞解釈は人それぞれだし、自分自身も今後変わっていくかもしれない。

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