「噛む」ということ - TRUMP考

末満健一が脚本・演出を手がける舞台TRUMPシリーズは吸血種と人間種が存在する世界のお話である。

この世界で吸血種が人間種を噛んだ場合は大半の人間種が死に至るが、吸血種が吸血種を噛んだ場合は噛んだ方が噛まれた方のイニシアチブを掌握し意のままに操ることができるようになる。

この「噛んでイニシアチブを掌握」という作用は劇中であんなことやこんなことを巻き起こす大事なギミックとなっているが、この「噛む」という行為について劇中での扱いが吸血種社会の中で自然なものであるのかどうかを考えると、どうも微妙に感じるところがある。

たとえば、劇中で何らかの対立関係が生じたときにしばしば正面から噛もうという試みがなされるが、「噛んでイニシアチブを掌握」という概念が一般化しているのであればもっと効率的に噛む方法を発達させるのではないか。

物陰に潜んで対象者が通過する際に噛む、背後から忍び寄って噛む、ごみ箱の中に隠れて開けたら噛む、寝ている間に噛む、一般人に紛れた暗殺者的な者がすれ違いざまに噛む、など姑息な手段の方が成功率が高いはずだが、劇中ではそういった方法はとられないし、組織的に噛むということも基本ない。

また、劇中では対立関係が生じた際に「計画的に噛む」ということは少なく、どちらかというと「激昂して噛む」ケースがほとんどである。「計画的に噛む」という場面も存在はするが、それらの多くは対立関係が生じていない平場のシーンであり、「噛む」という行為が戦闘手段としてはあまり発達していないようにも感じられる。

これは一体どういうことなのか。

現実世界の人間がナイフを持っていれば容易に刺すことができるが、それをしないというのと同じように考えればよいのだろうか。

ただ、現実世界の人間が気軽に刺さないのは刺したことがすぐに露見して諸々の厄介ごとが回ってくることを忌避するという面もあると思うが、「噛む」というのは結構露見しにくいという点で抑止力が少し弱い気もする。

劇を観る限り、誰かのイニシアチブを掌握したいという欲求は吸血種にも現実世界の人間並にあるように思われる。また、「実はあの人がこの人に噛まれていた」というのがずっと後になって露見したり、そもそも露見しなかったりするケースもままある。そして、噛んだ側が「噛む」ことによって直接的に受けるペナルティ(体調が悪くなるとか何らかの代償が必要になるとか)は描写されておらず、「噛んじゃダメ」という社会的ルールでのみ縛られているようにも見受けられる。

すなわち、こっそり噛んでしまえばほとんどノーリスクで誰かのイニシアチブを掌握するという欲求を満たせる社会であるように思われるが、そうすると社会秩序の成り立ちも現実世界の人間社会とはそこそこ違ったものになるのではないか。

もし現実世界の人間社会に近い社会秩序を指向するのであれば、「噛んだことが露見しやすいため社会的に制裁を受けやすい(今のところ劇中では露見しにくい)」「噛んだ人に体調不良等の直接的なペナルティが生じる(今のところ劇中ではペナルティは見当たらない)」「通常はあまり噛む気がおきない/実はみんな噛みたくない(今のところ劇中では噛みたそうにしている演出がある)」などのストッパーとなる設定が必要な気がする。

一応「実は結構日常的に噛んだ噛まれたの事件が起きている」という方向性もなくもないが、その場合は前半に記したように「噛む」技術がもっと発達していなければならない気がするので、そうならない理由というのが別途必要になってくる。

個人的にあまり面白くないもののこれまでの演出との整合を考えると妥当なのは「通常はあまり噛む気がおきない(一部噛みたがる嗜好の吸血種がいるが大抵はそうではない)」あたりかと思うが、「実はこんなペナルティがあるんだよ」だったり「結構日常的に噛んだり噛まれたりしてるんだよ」という方向性でどうにか面白い設定が出てくるといいなと。

なお、TRUMPシリーズは末満さんが深夜配信で設定を喋っていたり深夜に何らかの設定や思惑をつぶやいて速攻で削除することがあるため、当エントリの内容が陳腐化するような設定が既出である可能性もある。

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